アフリカ・バンバータ(Afrika Bambaata)

人物

アフリカバンバータ(Afrika Bambaata)がヒップホップという造語を作ったと言われています。
また、ヒップホップの四大要素「MC」「DJ」「DANCE」「GRAFITTI」を1974年11月に提案した。また、この月をヒップホップの誕生月としている。

出身:ブロンクス
誕生:1957年

ヒップホップの3大DJの一人とされており。
ブレイクビーツを広めた、クール・ハーク(Kool Herc)
スクラッチを広めた、グランドマスター・フレッシュ(Grandmaster Flash)と共に伝説となっている。

音楽ではエレクトロファンクの最先端であったらしい。
1982年にリリースされたプラネット・ロック(Planet Rock)はオールドスクールクラシックとされ今でも支持を受けている。

呼び名には「ヒッフホップ文化の祖父」「ヒップホップ文化のアメン=ラー(神)」「エレクトロファンクの父」等がある。

ギャング、サベッジ・セブン団の創立者であり、後にこのチームはブラック・スペード団と名乗り、ニューヨークで一番大きなのギャング集団になる。
この時期にアフリカ旅行でズールー族と出会い地域活動のやり方や文化に感銘を受け、自分の名前を「アフリカ・バンバータ」とし、ニューヨークで慈善活動を行う事になる。

また、ギャングのメンバーをユニバーサル・ズールー・ネイションに入らせる等、若者の生きる道を指導したとされる。

プロデューサーとしても才能を発揮し、
Jazzy Five(メンバーはMCs Master Ice、Mr. Freeze、Master Bee、Master D.E.E、AJ Les)
Soulsonic Force(メンバーはMr. Biggs、Pow Wow、Emcee G.L.O.B.E.)
※ Soulsonic Forceは、日本のアーティストYMOに音楽性の影響を受けたらしい。

1984年、映画「ビート・ストリート」にも出演している。

タイトルとURLをコピーしました